the beaten track とは、踏み固められた道。つまりは何時も使っている道。それに off をつける事によって、何時もと違う道を往こう、何時もと違う事をやろう! という願いを秘め日々頑張ってる訳です。
Posted by 甲子 - 2010.06.13 Sun 08:49:09
「他者への思いやり」などの意味(アフリカのズールー語から)を持っているのがUbuntuらしい。
北海道夕張市とか大阪府箕面市などはUbuntuや派生ディストリビューションの導入を進めているらしい。ソースは全てWIKIより。
確かに扱いやすくフリー。ただ、利便性で言えばWINDOWSにはかなわないだろう。
シェアとフリーの違いは顕著に現れる。ある意味で妥協が許されるのがフリーと言い換えても良い。フリーであればいろいろな事がユーザーに許容される。不備があっても許すというよりは諦めがつく。が、シェア、金がかかる場合においてはそれはほぼない。
故に、シェアの場合はかなり扱いやすい物であり、利便性が高いものである。まあ、一概にそうは言えないんだが、一般的に言えばそうである。一般的というか高確率でとでも言おうか……一般的って言葉自体があやふや過ぎて嫌いなもので。
もしも、シェアで出た物があまりにも不備が多すぎれば当然、それを利用したユーザーは次に同じ物を使おうとは思わない。信頼が失われる訳だ。その信頼を失わないために当然シェアウェア必死こく。つまりはそういう流れがあるからシェアは良い物である、高確率で。
しかして、これを別の視点から言い換えとすると、シェアってのはユーザーの欲しい物や使いたい物を提供してくれるという事。待ってても概ね大丈夫。金になるためにどんどか便利な物が量産される。その点、フリーってのは自分でどうにかするしかない。パッケージされてるフリーなんてほぼ無い訳だから、自分でいろいろ探していくしかない。現代においてはネットでいろいろ調べられるからその点は楽になってる。
という事は、フリーのOSなりフリーの物を扱うという事は自分で自発的に動かなければならないという事だ。自分で目標を立て、それに至るためにどうすれば良いかを自発的にしていかなければならない。
ここで、ようやく僕は気づいた。そうか、Ubuntuの他者への思いやりとはそれを気づかせるためにあるのだと。そして、LINUXを扱えと言ったのはこういった事に気づかせる側面もあったのだなぁ、と。
と上手くまとめたいのだが、さて、僕は何を書きたかったのだろうか? それを忘れた。往々にしてこういった事になるのは、書きたい事を絞れてないのだという事に相違ないだろう。ちゃんと注意しないとあかんよ。
さて、とりあえずLINUXの使いかたと動かしかたを学ばなければならないのだが、どうすれば良いのだろうか? 今だによく判らない。とりあえず、開発環境を整えるのに関してはとっても楽に出来る事は判ったのだが、仕組みまでは判らないし。というか、WINDOWSよりも内部が見え辛い。マイコンピューターどこよ? みたいな事を良く思うw 根本的な部分で僕は間違いを犯しているのだろう。要するにWINDOWSのGUIに毒されまくってる訳だ……多分。
PYTHON勉強しつつ頑張ってみよう。
そうだ、やれる所からやろう。
北海道夕張市とか大阪府箕面市などはUbuntuや派生ディストリビューションの導入を進めているらしい。ソースは全てWIKIより。
確かに扱いやすくフリー。ただ、利便性で言えばWINDOWSにはかなわないだろう。
シェアとフリーの違いは顕著に現れる。ある意味で妥協が許されるのがフリーと言い換えても良い。フリーであればいろいろな事がユーザーに許容される。不備があっても許すというよりは諦めがつく。が、シェア、金がかかる場合においてはそれはほぼない。
故に、シェアの場合はかなり扱いやすい物であり、利便性が高いものである。まあ、一概にそうは言えないんだが、一般的に言えばそうである。一般的というか高確率でとでも言おうか……一般的って言葉自体があやふや過ぎて嫌いなもので。
もしも、シェアで出た物があまりにも不備が多すぎれば当然、それを利用したユーザーは次に同じ物を使おうとは思わない。信頼が失われる訳だ。その信頼を失わないために当然シェアウェア必死こく。つまりはそういう流れがあるからシェアは良い物である、高確率で。
しかして、これを別の視点から言い換えとすると、シェアってのはユーザーの欲しい物や使いたい物を提供してくれるという事。待ってても概ね大丈夫。金になるためにどんどか便利な物が量産される。その点、フリーってのは自分でどうにかするしかない。パッケージされてるフリーなんてほぼ無い訳だから、自分でいろいろ探していくしかない。現代においてはネットでいろいろ調べられるからその点は楽になってる。
という事は、フリーのOSなりフリーの物を扱うという事は自分で自発的に動かなければならないという事だ。自分で目標を立て、それに至るためにどうすれば良いかを自発的にしていかなければならない。
ここで、ようやく僕は気づいた。そうか、Ubuntuの他者への思いやりとはそれを気づかせるためにあるのだと。そして、LINUXを扱えと言ったのはこういった事に気づかせる側面もあったのだなぁ、と。
と上手くまとめたいのだが、さて、僕は何を書きたかったのだろうか? それを忘れた。往々にしてこういった事になるのは、書きたい事を絞れてないのだという事に相違ないだろう。ちゃんと注意しないとあかんよ。
さて、とりあえずLINUXの使いかたと動かしかたを学ばなければならないのだが、どうすれば良いのだろうか? 今だによく判らない。とりあえず、開発環境を整えるのに関してはとっても楽に出来る事は判ったのだが、仕組みまでは判らないし。というか、WINDOWSよりも内部が見え辛い。マイコンピューターどこよ? みたいな事を良く思うw 根本的な部分で僕は間違いを犯しているのだろう。要するにWINDOWSのGUIに毒されまくってる訳だ……多分。
PYTHON勉強しつつ頑張ってみよう。
そうだ、やれる所からやろう。
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甲子
年齢:
40
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性別:
男性
誕生日:
1984/04/07
職業:
フリーターしつつライター
趣味:
読書、創作、武道武術
自己紹介:
答えを得たり。
自分の人生を生きるために行動する。
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