the beaten track とは、踏み固められた道。つまりは何時も使っている道。それに off をつける事によって、何時もと違う道を往こう、何時もと違う事をやろう! という願いを秘め日々頑張ってる訳です。
Posted by 甲子 - 2008.06.06 Fri 20:39:42
僕は様々なアルバイトを渡り歩いてきた……飲食店ホール、キッチン、引っ越し、倉庫内仕分け、駐車場管理、施設内夜間警備、派遣仕分け。
こう書き出してみると、案外少ない。まあ、業種が同じでも違う場所でのバイトもあるのは確かだが、やはり少ないのかもしれない。
まあ、それはおいておこう。
それぞれ同じような職場だろうが、違う職場だろうが、給料や作業内容は全く異なる。そして、その店の方針や考え方、当然そこに勤める人達も違う。
人の理念や考え方によって、また感じ方によって違うのだろうが。働きやすい職場があり、また働きにくい職場がある。
僕にとって何が良い職場なのかと考えた時に思いつくのは、単純にそこで働いている人。そして、上司だ。それらが、自分に対して理解があるかどうかが明暗を分ける。加えて、それらの能力、あるいは様々な視点をもっているかも重要。
理解してもらうには当然、自分の努力が必要だ。だが、どんなに努力をしようとも、どうしようもないのもいる。
視点が自分の視点しか持ちえない者はどうしようもない。どんだけ努力しようが、上司と同等の事が出来なければ、ほぼ意味がない。自分の視点しか持ちえないから、これ位はやれ、という事が出来たとしても、そんな事は出来て当たり前、で終わる。
この手の類は、自分と同等の力を有すると感じたり、或いはそれ以上だと感じると、恐れを抱いたりするのが始末におえない。おおむねこういった類は若い人に多い。恐らく競争心からくるのだろうが、下の者の成長を喜ぶというよりは、ある事柄が出来たら、それは俺が教えてやったから。
逆に、苦労している人や人格者(とでも言おうか?)の場合、成長を喜んでくれるし、自分のお陰だなんて事をおくびにも出さない。仕事それ自体も温かく見守り、道にそれた場合は、そっと正しい道へと導く。そこに厭味はなく、ごく自然だ。何事もなく、元の正しい道へと自分は戻っている。
まあ、そんな上司に出会うなんて稀。
で、そんな人は、何時もスマートでにこやかなのに、いろいろ話を聞いてみると、とんでもない苦労を重ねていたりして驚く。そういった人達は本当の意味で苦労を重ね、それでも曲がらずに真っ直ぐに生きている人だと思う。たいていは、苦労に苦労を重ねるともうイヤダー! って根性ひん曲がるのがオチだろう。
願わくば僕も、曲がらず真っ直ぐな、何時でも沈着冷静、物腰柔らかな人になりたいものだ。
さて、書いているうちにどんどん書こうとした内容から離れている。
今回書きたかったのは、雇う側と雇われる側に何が必要かという事。
金? ――正解!
だがそれ以上に、初めに『無』ありきとあえて言いたい。
『信』でも『疑』ではない。そんなもん持つ位なら雇うな雇われるなという話だ。雇い雇われてやってみてから、考える事だ。加えて、期待なんてものもするなという話だ。勝手に期待して、期待外れというのは……責任の転嫁だろう。選択は自分で行うのだから、その選択の責任は自分で負うのが当然の事。
加えて、この世のありとあらゆるモノはどんな形にせよ、使えるモノだ。使い手がそれを有用に使えるかどうかが問題なだけだ。使えないモノだから使えないんじゃなくて、巧く扱えないから使えるモノも使えないだけ。あるいは、それだけの頭、あるいは視点や視野が足りないだけ。
だから、『無』。
使える使えないではなく、使うのだ。
なんて事を、いろいろなバイトから考えた。
何故こんな事を考えたかというと、いい加減雇われでやっているのに嫌気がさしているので、起業を考えている。起業すれば当然人材が必要になってくる。そして、バイトをすれば厭でも目にするそれらをふと考えた時に、これらの考え方は有用であると考えたからだ。
文章にしろ内容にしろかなり足りないが、まあ、少しずつ手直しをしよう。
あらゆる事は、使える使えないではなく、使うのだ。
こう書き出してみると、案外少ない。まあ、業種が同じでも違う場所でのバイトもあるのは確かだが、やはり少ないのかもしれない。
まあ、それはおいておこう。
それぞれ同じような職場だろうが、違う職場だろうが、給料や作業内容は全く異なる。そして、その店の方針や考え方、当然そこに勤める人達も違う。
人の理念や考え方によって、また感じ方によって違うのだろうが。働きやすい職場があり、また働きにくい職場がある。
僕にとって何が良い職場なのかと考えた時に思いつくのは、単純にそこで働いている人。そして、上司だ。それらが、自分に対して理解があるかどうかが明暗を分ける。加えて、それらの能力、あるいは様々な視点をもっているかも重要。
理解してもらうには当然、自分の努力が必要だ。だが、どんなに努力をしようとも、どうしようもないのもいる。
視点が自分の視点しか持ちえない者はどうしようもない。どんだけ努力しようが、上司と同等の事が出来なければ、ほぼ意味がない。自分の視点しか持ちえないから、これ位はやれ、という事が出来たとしても、そんな事は出来て当たり前、で終わる。
この手の類は、自分と同等の力を有すると感じたり、或いはそれ以上だと感じると、恐れを抱いたりするのが始末におえない。おおむねこういった類は若い人に多い。恐らく競争心からくるのだろうが、下の者の成長を喜ぶというよりは、ある事柄が出来たら、それは俺が教えてやったから。
逆に、苦労している人や人格者(とでも言おうか?)の場合、成長を喜んでくれるし、自分のお陰だなんて事をおくびにも出さない。仕事それ自体も温かく見守り、道にそれた場合は、そっと正しい道へと導く。そこに厭味はなく、ごく自然だ。何事もなく、元の正しい道へと自分は戻っている。
まあ、そんな上司に出会うなんて稀。
で、そんな人は、何時もスマートでにこやかなのに、いろいろ話を聞いてみると、とんでもない苦労を重ねていたりして驚く。そういった人達は本当の意味で苦労を重ね、それでも曲がらずに真っ直ぐに生きている人だと思う。たいていは、苦労に苦労を重ねるともうイヤダー! って根性ひん曲がるのがオチだろう。
願わくば僕も、曲がらず真っ直ぐな、何時でも沈着冷静、物腰柔らかな人になりたいものだ。
さて、書いているうちにどんどん書こうとした内容から離れている。
今回書きたかったのは、雇う側と雇われる側に何が必要かという事。
金? ――正解!
だがそれ以上に、初めに『無』ありきとあえて言いたい。
『信』でも『疑』ではない。そんなもん持つ位なら雇うな雇われるなという話だ。雇い雇われてやってみてから、考える事だ。加えて、期待なんてものもするなという話だ。勝手に期待して、期待外れというのは……責任の転嫁だろう。選択は自分で行うのだから、その選択の責任は自分で負うのが当然の事。
加えて、この世のありとあらゆるモノはどんな形にせよ、使えるモノだ。使い手がそれを有用に使えるかどうかが問題なだけだ。使えないモノだから使えないんじゃなくて、巧く扱えないから使えるモノも使えないだけ。あるいは、それだけの頭、あるいは視点や視野が足りないだけ。
だから、『無』。
使える使えないではなく、使うのだ。
なんて事を、いろいろなバイトから考えた。
何故こんな事を考えたかというと、いい加減雇われでやっているのに嫌気がさしているので、起業を考えている。起業すれば当然人材が必要になってくる。そして、バイトをすれば厭でも目にするそれらをふと考えた時に、これらの考え方は有用であると考えたからだ。
文章にしろ内容にしろかなり足りないが、まあ、少しずつ手直しをしよう。
あらゆる事は、使える使えないではなく、使うのだ。
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